【高齢者虐待の事例】介護職員による老人ホームでの母の体験談

高齢者虐待事件

超高齢化社会の中、高齢者虐待は他人事ではありません。しかし、あまりに知られていないのが現状です。まずは、知ってもらうことから始めようと思い、今回母の事件について公開することを決めました。

【高齢者虐待の事例】介護職員による老人ホームでの母の体験談をご紹介いたします。とても長いですが、お付き合いいただければと思います。

母の体験談をブログに掲載する決意した経緯は初めてお越しの方へをご覧ください。↓↓↓

初めてお越しの方へ

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母が老人ホームに入るに至った経緯

老人ホームに入る前まで、私は母と2人暮らしをしていました。

父はというと、私が小さい頃から浮気癖があり、あまり家には帰ってこない人でした。

そして私が20歳すぎにはついに家に帰って来なくなりました。

そんなこともあり、母はとてもしっかり者でした。

そんな母に異変が起き始めたのが、平成21年10月頃でした。

70歳を超えた母は、頭が痛いと訴えはじめ、様々な病院で検査をしましたが、結局これといった病気はわかりませんでした。

その頃の私は仕事をしていたのですが、仕事中にも関わらず、頻繁に連絡してくるようになったのです。

さらに、母は夜中に私の枕元にやってきて

母

お金が盗まれた!あんたが隠したやろ!親を警察に売るんか!

などと言い始め、私は何度も

私

盗んでないよ!

と言っても母は納得せず、私は毎日何度も夜中に起こされ、睡眠不足に陥り、母の変貌による恐怖で限界でした。

またある日では、2人暮らしなのに、鍋に大量のうどんが用意してあり

私

こんなに作ってどうしたの?食べきれないよ!

と聞くと、

母

こたつに山登りの人がたくさん来ているから、作ったんよ。

と言っていました。

これはもしかして、認知症かと思った私は精神科のクリニックに行くと「解離性人格障害」であるとの診断を受け、薬を服用し始めましたが、いっこうに良くなることはなく、薬の副作用で活気がなくなり、寝て過ごすことが多くなりました。

このままでは、寝たきりになってしまうと考えた私は、病院で働いている関係もあり、医師に相談した結果、精神科病院に入院した方が良いと言われました。

精神科病院に入院するということに強い抵抗はありましたが、いっこうに良くならない母をこのままにしていてはいけないと思い、嫌だと泣く母を説得し、精神科病院へ入院することになりました。

精神科病院へ、初めての入院

この時、本当に辛い決断でした。

自分の母親を精神科病院に入院させることになってしまったこと、こうなるまでにもっと何か出来たのではないか、病院で働いていたにも関わらず、自分の母の事を仕事が忙しいことを理由にしてケアを怠ってしまったこと、後悔してもしきれませんでした。

母は入院しながら検査を受けた結果、「老人性うつ病」と診断されました。

医師からは「これは認知症の症状によく似ているものの、別の病気である」との説明を受けました。

母も私も泣いて精神科病院に入院したにも関わらず、母はそこでコミュニティを形成し、友達もでき、家にいる時とは別人と思うくらいに明るくなって、生き生きしていました。

精神科病院のイメージはあまり良くないかもしれませんが、母が入院していた病棟は開放病棟ということもあり、入院している患者さんはフレンドリーで面会に来た私にも気さくに話かけてくれたり、母の事を心配してくれたりで、面会に行くのが楽しみになっていました。

このように母の病状は次第に良くなっていきました。

病院ということもあり、良くなれば退院するのは当たり前のことです。

しかし、良くなったとはいえ日中ひとりで過ごすのは難しいと医師に言われていました。

この頃の私は独身で、病院で医療事務として働いていて、管理職にも就いていました。

残業がとても多い職場でしたので、つきっきりで母の面倒をみることは出来ない状態でした。

しかし、このまま病院で入院していては良くないと考え、母が日中ひとりにならず、誰かの見守りがあれば退院できると言われていましたので、次にどうするか病院のスタッフや母と話し合いました。

精神科病院にいた母はとても楽しそうでした。母は話し好きということもあり、同年代がいれば話しも合うだろうし、寂しくないのではないかと考えた結果、老人ホームに入るということになりました。

もちろん母と一緒に老人ホームの見学に行きました。母と一緒に見学に行ったのは3件で、どこも綺麗で、ハード面は整っていました。

今回事件に巻き込まれることになった老人ホームに入居した理由は、

  1. とても綺麗だったこと。
  2. 同じビル内に歯医者や、内科(提携医)があったこと。
  3. 駅やスーパーが近くにあり、一緒に外出できると思ったこと。
  4. 相談員がとても感じが良くて話しやすく、母の話しを熱心に聞いてくれたこと。
以上の理由で、ここなら母も楽しく過ごしてくれるのではないかと思いました。

そして母は、精神科病院に6ヶ月程入院した後に、この介護付き有料老人ホームに入居することになったのです。

しかし、相談員が母のお世話をしてくれる訳ではありません。この選択が不幸の始まりになってしまったのです。

老人ホームへの入居

母はこうして老人ホームに入居することになりました。

この頃の母は、まだ自分一人で歩ける状態で、言葉についてもはっきりとしていました。もちろん会話も出来ました。

この老人ホームは駅から徒歩数分程度という好立地にあり、1階から3階に歯科医院やクリニックが入っている9階建てのビルでした。

母の部屋は8階だったので、晴れた日は気分が良くなるほど、窓からは綺麗な景色が広がっていました。

母が入院していた病院とは大違いでとても清潔感がありました。

この老人ホームは階ごとに介護職員が配置されていて、母が入居した時にいた職員には、リーダー(介護福祉士・男性)、サブリーダー(介護福祉士・女性)、他正社員の介護職員が3名(男性1名・女性2名)、パートが1名(女性)の計6名がいました。

あとは、他の階から手伝いが来たり、パートさんが来たりしていましたが、パートさんはコロコロ変わっていました。

今回虐待事件を起こしたのは、リーダー、サブリーダー 、男性介護職員の3名になります。ここでの名称をリーダーをAサブリーダーをB男性介護職員をCとしたいと思います。

虐待事件を起こした3人の特徴について

リーダーA しっかり者だが優しさが感じられない、冷たい印象だが、私の前では母にきつい言葉を言ったりは絶対しない。正職員・男性。
サブリーダーB ベテランが滲み出ている感じで、冷たい印象。私のことは苦手としていた。母に対しても無愛想。正職員・女性。
介護職員C 身だしなみが整っておらず、髪の毛はいつもはねた状態で、やる気がない感じ。あいさつもあまり出来ない。ただ、母は話しやすそうにしており、優しい感じではあった。正職員・男性。

頻尿を訴えはじめる

こんな設備の整った老人ホームに入居してからの母の様子ですが、入居後すぐの頃は良かったのですが、日に日に不安感を訴え、不眠になり、頻繁に尿意を訴えるようになりました。

私は、頻尿で不安な状態になっていると考え、入居して2ヶ月後に老人ホームの提携医療機関の泌尿器科を受診しましたが、特に異常はありませんでした。

この病院の泌尿器科の医師に、

医者
泌尿器科医師

能面みたいな顔して、早くうつ治さなあかんわ!

と一言言われました。

私はこの言葉を一生忘れることはありません。老人性うつ病はそう簡単には完治しません。医師が言う言葉ではないと思っています。

今考えると入居して2ヶ月後には、母の調子は悪くなっていたのです。

精神科病院に入院していた時には、入院して1ヶ月後には環境にも馴染めていて、楽しく過ごしていました。2週間に1回は精神科病院に通院していたにもかかわらず、老人ホームに入居してからは、なかなか慣れず、不安感がなくならない母が心配でたまりませんでした。

それから2ヵ月後、入居してから4ヵ月後の出来事ですが、母が部屋のトイレのドアの開け方がわからず、隣の入居者へ聞きに行ったということがありました。

B(女性サブリーダー)とのエピソード

部屋のトイレはクローゼットのようなドアになっており、開け方が難しく、最初は私も戸惑いました。

若い人なら1回開ければ、次も開けることが出来るのは当たり前だと思うのですが、母の場合、不安感が強い日などは、今まで出来ていたことが出来ないこともあり、その日はドアの開け方がわからなくなってしまったようです。

開け方がわからなくなった母は、隣の部屋の入居者さんに何回も聞きに行ったと看護師から報告を受けました。

私は、わざわざ隣の部屋まで行かなくても、介護職員に聞けば良かったのにと思い、

私

なぜ介護士さんに聞かないの?

と母に聞きました。すると、母は

母

怖いから、怒られるし、聞けなかった。

と答えました。この時の介護職員というのが、Bでした。

このB母が「ありがとう」とお礼を言っても、返事をしなかったり、私も話しにくく、相談も受け付けない感じでしたので、正直嫌な感じな人、冷たい印象の人でした。

なのでこの出来事があった時に、母はBからきつい言われ方をしたんだなと思い、報告してくれた主任看護師に

私

母がお隣さんに聞きに行ったのは、Bに怒られるから怖くて聞けなかったと言っていました。それとなく注意してもらえませんか?

と頼みました。

しかし、今回の虐待事件が明らかになってわかったのは、この老人ホームでは、入居者に問題が生じた場合でも、職員同士でカンファレンスを行うことはなかったのです。

職員教育も実施されていなかったので、私が注意しても、面倒な家族がクレーム言ってるわくらいの扱いだったのです。それでは、何も良くなることはないでしょう。

しかも私が注意して欲しいと頼んだ主任看護師とBは仲が良かったようです。これでは、母への対応は酷くなる一方で、私がした行為は逆効果になってしまいました。

一時帰宅中に大腿骨を骨折

こうして母も私もこの老人ホームに馴染めないまま、私に関しては違和感を感じながら、入居して7ヵ月が経過した頃、母にとって人生が変わってしまう出来事が起きてしまいました。

母は精神状態が安定しないために、この時も2週間に1回は精神科病院に通院していたのですが、受診の帰りに私の自宅に帰宅していた時、転倒してしまいました。

家の床は滑りやすくなっていて、転んでしまったのです。

きちんとした室内シューズを用意し、私が目を離さなければ、こんなことにはなっていませんでした。

母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。今でも後悔しています。

そして救急車で運ばれ、右大腿骨頸部骨折のため病院へ入院することになってしまいました。そして手術を受けました。

高齢者虐待の兆候?

約1ヶ月の入院後、母は退院し老人ホームへ戻りました。

この時の母は精神的に徐々に落ち着いていましたし、付き添いがあれば歩行可能な状態まで回復しました。

しかし、転倒の危険があったので介助が必要になっていました。

そのため、1人でベッドから立ち上がった時のために、床にセンサーマットを敷いて転倒・転落防止をすることになりました。

センサーマットとは・・・色々な種類がありますが、母が使用していたものは床に敷くタイプで、足が床につくとナースコールを押した時のように、音でスタッフに知らせます。

老人ホームに戻り少し経つと、母は再び精神的に不安定な状態(不穏状態)が増え

母

スタッフ(職員)に怒られる

と言うようになりました。

母はトイレに行く時や、歩くときは転倒防止のため、介護職員に付き添ってもらうことになっていました。

私は職員を呼ばずに1人で歩いたり、リハビリのためにもなるべく歩くように言っているのに母が拒否して歩かなかったり、右股関節の脱臼防止の装具をしていたので、それを外してしまったりしたのかなと思い、

私

スタッフが怒るのはお母さんに良くなってもらいたいから、お母さんのことを思って言ってくれてるんだよ。

と母に言いました。

後から思えば、スタッフは母のために怒っていたのではなく、ただ手のかかる母にイライラし、自分たちのストレスを母にぶつけていただけであったのです。

母はそれが怖くて職員を呼べなかったのだと思います。

そして母は、病院から退院した1ヶ月後ぐらいからナースコールを何度も押し続けたり、

母

助けて!

と大声で叫んだり、落ち着きがなく立ったり座ったりを繰り返したり、極度の緊張状態で汗は大量に出て、手を使わず食器に直接顔をつけて食事を取るなど、奇異行動が見られるようになりました。

手や腕にあざも増えていて、私は職員に

私

このあざ、どうしたんでしょう?

と聞きましたが、職員からは

介護士
介護士

ベッド柵にぶつけたんじゃないですか?

と言われただけで、それ以上あざが出来た原因を調査したり、話し合ったり(カンファレンス)などの対策を講じることもありませんでした。

そして母の状態はどんどん悪くなっていきました。

精神科病院へ、2回目の入院

大腿骨骨折の時に入院した病院から退院した約2ヶ月後手を使わず食器に直接顔をつけて食事を取るなど、今までにない異常な行動があったり、ついには食事を取れなくなったため、かかりつけの精神科病院を急遽受診することになりました。

いつもと違う母の状況だったために採血を実施しました。

採血の結果、筋肉が壊れた時に上昇するCPKと炎症反応を示すCRPが異常に上昇しており、「悪性症候群」という聞きなれない病名の疑いで入院することになりました。

悪性症候群とは・・・主に向精神薬の開始や中断・再開などによって、高熱・意識障害・筋強直・横紋筋融解などをきたす症候群。薬によるもっとも重篤な副作用。

母は、炎症反応が治るまで約10日間点滴をし、ベッド上で安静にしなければなりませんでした。

入院前はとても辛そうで、母との会話もままなりませんでしたが、入院中は母との会話も成立し、毎日お見舞いに行っていたのですがおやつも食べれるようになりました。

日中は車いすに座って皆んなが集まるホールで穏やかに過ごせるようにまで回復しました。

ただ、悪性症候群だったかは不明のままです。

なぜなら悪性症候群なら、意識障害・筋固縮により動くことが出来ない会話も出来ないことが多いのですが、母の場合、入院した直後でもベッドの柵を持ち、起き上がろうとしており全く動けないことはなく、意識もあったからです。

医師も確定的な診断が出来なかったようで、入院中に他の病院を受診しましたが、結局異常は見つかりませんでした。

採血結果も良くなり、もう一度薬の調整を慎重に行いました。そして入院から約2ヶ月後退院することになりました。

老人ホームへ戻ってから・・・

精神科病院からすっかり良くなった母は、老人ホームへ戻りました。

この時の母は、シルバーカーでの歩行は出来なくなっており、車いすとなりましたが、介助があれば立つことが出来る状態でした。

入院前よりはADL(日常生活動作)は低下していました。

ADLとは・・・移動、排泄、食事、更衣、洗面、入浴などの生活に必要な日常に行う動作のことを言います。

この頃、老人ホームでは母の介護の担当責任者だったスタッフが入居者さんが増えすぎたという理由から、担当が8階フロアリーダーをしていたAに変更となりました。

母が一人でベッドから降りた?

精神科病院から退院してから程なく、Aから母が、

A
A

頭を入口側に向けて床の上のマットで寝ていた。

と報告を受けました。

精神科病院から戻ってきた後から、ベッドから転落防止のためであるということはわかりましたが、何故かセンサーマットではなく母のために買っていた敷布団をベッドの横の床に敷かれていました。床は土足です。

この時私は、骨折した時に入院していた病院から退院した後は、センサーマットを敷いていたのに、どうして敷布団なのか疑問に感じながらも、またうるさい家族だ、面倒なことばかり言うと思われることを恐れ、職員に言うことは出来ませんでした。

私は、Aから母が床の上のマットで寝ていたと聞いた時に、A

私

なんでですかね?

と聞いたのですが、Aからは

A
A

さぁ、なんでですかね。

という答えしか返ってきませんでした。

精神科病院を退院してすぐの頃と言えば、母は自由に身体を動かすことは出来なくなっていましたし、自分で立つことも出来ない状態であったので、

私

おかしな話しだな・・・

と疑問に思ったのです。

Aからこの話しを聞いて、Aが部屋を出て行った後、私が母に

私

なんでベッドの下で寝てたん?

と聞いたところ、

母

「男にベッドから落とされた」

と母は答えました。

私はまさかそんなことをする訳がないだろうと思って、その時の母の話しを信じることは出来ませんでした。

この頃2回は母がベッド下で寝ていたという話しをAから聞いたように思います。

今になって考えてみれば、母の言っていることはあながち誤りではなかったのではないかという気持ちになりました。

普通ベッドの下のマットで寝ていたと思う職員は何人いるでしょうか。通常ならベッドからの転落を考えるのではないでしょうか。

よくよく考えて見るとつじつまが合わないことがたくさんありました。でも、その時はそこまで考えることが出来ませんでした。

左鎖骨あたりが腫れている!

ちょうどこの頃、私は母と面会中に母の左鎖骨付近が腫れているのに気がつきました。

私が気がつくまでは、職員に気がつく人間はいませんでした。

私が気がついた翌日、訪問診療医である老人ホームと同じビルに入っているクリニックで、レントゲン撮影しましたが、骨折なしとの診断でした。

しかし、約5ヶ月後の平成24年1月5日、老人ホームから避難する形で入院した病院でもう一度精査してもらった結果、左鎖骨は骨折していたとの診断を受けました。

この鎖骨の骨折は直近で骨折したものではなく、古いものでした。ということは、この時の訪問診療医の誤診ということになります。

もっと専門的な病院でレントゲンと撮ってもらうべきだったと後悔しています。

腰が痛い!足に力が入らない

さらに母は腰が痛いと強く訴えるようになりました。

精神科病院では介助があれば立つことが出来たのに、足に力が入らず、全く立てなくなってしまいました。

これはおかしいと思い、今回も私からの申し出でやっと病院で診察してもらうことが出来ました。

診断の結果、胸腰椎圧迫骨折2カ所骨折があるとのことで、1カ所は古い傷のようで、もう一カ所は新しい感じであると言われました。

詳しい病態はMRIを撮影しなければわからないとのことでした。

医師からは

医者
整形外科医師

MRIまで撮らなくても経過観察で良いでしょう。

と言われました。

両足に力が入らないことも相談しましたが、医師からは

医者
整形外科医師

筋力をつけるしかない。

と言われ、その時は仕方ないのかと思いました。

しかし、ここでも後悔が残ります。後ほど詳しく記載しますが、もっと早くMRIを撮影していれば、もしかしたらまだ自分で立つことが出来ていたかもしれません。

病院は1つの病院だけでなく、セカンドオピニオンを受けることをオススメします。その後の人生が大きく変わるからです。

少しでも不信に思ったら迷わず、セカンドオピニオンを受けましょう。

セカンドオピニオンとは・・・患者さんが納得のいく治療法を選択することができるように、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めること。

介護職員による虐待の疑惑がどんどん増す

この腰を診てもらった病院受診の頃、母が私に対して

母

一番偉そうな男が怖い、班長が怖い、店長が怖い、怒られる…

と口にするようになりました。

私は、母がいる8階のリーダーが母の担当責任者をしているAであったことから、母の言う店長、班長がAを意味しているとわかりました。

A以外にはCしか男性介護職員がいなかったことから絶対にAだと思いました。

Cは今時の若者みたいな感じで、怖い感じではなく、母も怖がったりはしていませんでした。ただ仕事に向かう姿勢は”いい加減”なものでした。

私は母にAが怖い理由を聞いてみました。すると母は

母

トイレに行ったら怒られる。

などと答えました。

母は人の悪口をあまり言わない性格なので、具体的にどのようなことをされたら怖いのかについては答えませんでした。

ただ、母は私に対して

母

あんたがいる時といない時では班長の態度が違うのよ。

などと言っており、私は直接Aが偉そうに母に話しているところは見ていないものの、以前からAの上から目線の態度が気になっていました。

Aリーダーをしているということもあり、しっかりしたタイプで、シャキシャキしていました。

そのしっかりしているということは大事なことだと思いますが、優しさが感じられないといいますか、何とも言えない違和感をずっと感じていました。

これは、なかなか文章にするのは難しい感覚的なものになります。

母にあざ(青タン)がたくさん出来る

母は精神科病院に入院する前からあざ(青タン)が出来ていて、気になってはいたものの、母は色白だったので、あざが目立ちやすいタイプなのかと思っていたのですが、精神科病院に入院中にはそのあざが消え、老人ホームに戻るとまたあざが頻繁に出来るようになっていました。

そのあざは、左右両方の腕に小さなもので直径約1〜2㎝、大きなもので直径約3〜4㎝の赤色や紫色の内出血でした。

時々、目や頬のあたりにも内出血が出来ていることもありました。また、頬のあたりや手の甲がむくんだ様に腫れていました。

この内出血はちょうど古いものが治れば、また新しいものが出来るといった感じで、私はなぜ母の腕や顔に内出血が出来るのか不思議に思ったので、職員の中でも聞きやすかったパートの女性介護職員に

私

このあざどうしたんでしょう?

と聞きました。

すると、パート介護士は

介護士
介護士

わからない、ベッドの柵で頭などぶつけたんですかね。

などと言うだけでした。

結局なぜ内出血が出来たのかはこの時はよくわかりませんでした。

介護職員から母が暴力を受けているとは想像もしていなかった私は、パート介護士の言うとおり、母がベッドの柵でぶつけた時に出来た内出血だろうと思いました。

介護職員による暴力、ほんと?幻覚?

その後も母の腕や顔に出来た内出血はいっこうに減らず、私は母に

私

青タンどうしたん?

と聞いたところ母は

母

叩かれた

と答えたのです。

 

私は続けて

私

誰に?

と聞くと母は、

母

男に、班長、店長、一番えらい人

と答えたのです。

私は母の言っている班長、店長、一番えらい人がAのことだとすぐにわかりました。

しかし、老人の介護という立派な仕事をしている人が、身体の自由のきかない弱い人に暴力をふるうなんてありえないと思っていたこと、まさかそんな犯罪を犯す人間が近くにいるとは思っていなかったこと、母の病気が認知症とよく似た症状の「老人性うつ病」であったことなど色々な理由で暴力をふるっているとは考えられませんでした。

また、一人で考えていた訳ではありません。

医療機関で働いていましたので、看護師の友人や、その時は結婚していませんでしたが、今の夫にも相談しましたが、

友人
友人

まさか叩いたりしないでしょう。

と言っていたので、母の言うことが幻覚や思い込みによるものだと思って、半信半疑で聞いていました。

この時まさかという思いで信じたくなかったのかもしれません。

また私は、母がAのことを怖がっているのは、Aの話し方や態度がえらそうであるためだという思いもあったので、Aに対して

私

何でも無理にさせない方がいいですよ、優しく言った方がいいですよ。

などとアドバイス的なことを言って、もう少し優しく母に接してくれるように促しました。

Aは少し怒ったような口調で

A
A

どういうことですか?

と言われたので、私は母がお世話になっている介護職員に対してこれ以上のことは言えませんでした。

その後も内出血は消えることなく、母の身体の調子はみるみる悪くなっていき、食事量が減り、明らかに痩せてきて、言葉についても短い言葉でしか会話できなくなっていきました。

血尿!?緊急入院

そんな体調不良が続く中、今度は血尿で入院することになりました。

入院したのは、精神科病院を退院してから、1ヵ月半後のことでした。

ここでの病名は「出血性膀胱炎による膀胱タンポナーデ」です。

この病気自体は8日間の入院でよくなりましたが、なぜ突然血尿が出たのかは不明のままです。

入院中に看護師から「胸骨が折れていたみたいですよ」と言われたことがありました。

私は、

私

えっ?

と思ったのですが、他の患者さんと間違えているのかなとその時は思いました。

なぜそう思ったかというと、医師からは特に骨折のことは言われなかったからです。

しかし、後から調べてみると胸骨は折れていました。この病院も胸骨が折れているけど、どうしたのかなど疑問にも思わず、私も再度確認することもなかったために、骨折に気がつくことができませんでした。

ここできちんと確認していれば、母は苦しむ時間が少なく済んだかもしれません。

ただ、証拠はありませんが、今考えてみると、この骨折は虐待によるものだったと思っています。胸骨骨折なんて普通しないですから・・・。

入院中に気がついたことがあります。

それは、老人ホームにいないと内出血が消えるということです。精神科病院でも内出血は消えていましたので、これはおかしいと思っていました。

退院、そして老人ホームへ戻る

母の血尿はよくなり、老人ホームへ戻ることになりました。

戻るとまた内出血が増え、さらに左前腕(肘から下)が剥離したり、原因不明の怪我が増えました。

そして、今まで自分で立つことはできなくても、介助があれば立つことができていたのに、両足が動かなくなり、身体を動かすと激痛を訴えるので、私は

私

これはただの胸腰椎圧迫骨折ではない!

と心配になり、大腿骨の骨折の時に入院していた病院の定期受診の際に相談すると、一度MRIを撮影してみようということになりました。

MRIを撮影した結果は「胸腰椎圧迫骨折による脊椎神経圧迫のための下半身麻痺」という診断を受け、手術するには手遅れであると言われました。

母の両足は筋力が落ちていたために、立つことができなかったのではなく、胸腰椎圧迫骨折による神経圧迫のために、足の痛みと麻痺が起こっていたということだったのです。

腰が痛いと言っていた時に整形外科で受診した際に、MRIを撮影して、手術をしていれば、足が麻痺するようなことはなかったかもしれません。

憶測でしかありませんが、母の痛みをもっと早く取り除いてあげられたかもしれないと思うと、後悔してもしきれません。

私の結婚式

母の病状が芳しくない中、私は結婚式を予定していました。

母が大腿骨を骨折する前から決まっていて、母はとても楽しそうに結婚会場のパンフレットをみてくれていました。

父もいませんし、母にウエディングドレス姿を見せたいという思いだけで結婚式をすることを決めました。

体調が悪い母に出席してもらうかどうかギリギリまで悩みましたが、老人ホームの職員が付き添ってくれるということだったので、母には出席してもらいました。

その日の母はいつもよりしゃんとしていて、食事もたくさん食べてくれました。

それをみて出席してもらって良かったと思ったのですが、付き添った介護職員がBだったのです。

B付き添い時無愛想で、他の結婚式に参列してくれた方も、Bの態度が悪かったので介護職員であることに驚いていました。

私は

私

なぜこんな人が付き添いなんだろう・・・

と思いましたが、付き添ってくれるだけ良いと思うことにしました。

Bだけでは不安であるとのことで、Aも付き添いに来てくれました。

Aは休日を返上してまで来てくれ、熱心にしてくれていると思っていた私は、Aが母を叩くなんて考えられませんでした。

今思えば、母にとってはABが付き添いだったなんて、辛く怖い思いをさせてしまい、なんてことをしてしまったんだろうと結婚式をおこなったことを後悔しています。

結婚式などするべきではなかったのです。

結婚式のあと

母は相変わらず内出血が続く中、発汗や上半身の緊張もひどく、ベッドで横になっていても緊張がほぐれず、頭を上げたり下げたりする動作が数ヶ月も続いていましたので、私は精神科病院の定期受診の際に医師に思い切って相談しました。

特にB

介護士B
B

薬が悪いのではないか!

としきりに訴えてくるので、そのことを医師に伝えると、

医者
精神科医師

上半身の緊張は薬の副作用ではなく、ストレス、不安からくるものではないか、病院に入院すると体調が良くなり、退院し老人ホームに戻ると悪くなるので、老人ホームを変わった方が良いかもしれない。

と医師から助言を受けました。

その後も母の手や腕、顔の内出血が消えることなく、私は、ここ数ヶ月の母の体調の急激な変化に不信感を覚えるようになっていました。

特に私の結婚式前から左の手の甲が腫れ、なかなか腫れが引かずに、左利きであるにもかかわらず、左手をあまり動かさないようになっていたため、定期受診をしていた整形外科の病院(MRIを撮影した病院)で相談すると、頭(脳)の問題かもしれないということで、脳神経外科病院を紹介されました。

介護職員による虐待疑惑から確信へ

脳神経外科病院を受診し、夕方老人ホームへ戻ってきた時、私と母はたまたまAとエレベーター前で出会いました。

Aが母に

A
A

おかえりなさい。

と声をかけた時、いつもなら「ただいま」と答えていた母が無言だったので、母の表情をみたところ、私が今まで見たことのない顔で、極度の緊張でこわばっていました。

その表情を見た私は、これはもしかして本当にAが母に何かをしているかもしれないという恐怖を感じたのです。

元副施設長に相談する

そこで私はこの老人ホームで元副施設長として働いていたDさんに連絡しました。

Dさんは、この老人ホームを辞めていたので相談しやすかったこと、私の友人の知り合いだったこともあり、老人ホームにいた時からよく話しをしており、信頼できる人だったので思い切って相談しました。

私はDさんに携帯電話のメールで

私

母がAに本当に叩かれているかもしれない、正直どう思いますか?

と聞きました。するとDさんは

Dさん
Dさん

盗聴器つけます?冗談じゃなくて真剣です。正直8階には手を焼いていました。何度も話し合いをしてきました。あの子たち(AとBのこと)は変わらないと思います。

などというメールが返信されたのです。

これには正直驚き、身体中が震えました。この時私は

私

やっぱりか・・・

と思いました。

脳神経外科病院での結果、その帰りに・・・

あくる日、脳神経外科病院で脳MRIと神経伝達速度検査を受けましたが、結果は異常なしでした。

医師に母の左の手の甲を見せると、

医師
脳神経外科医師

何かに強く打ち付けたのではないか。

と言われました。

診察が終了し、受付で待っている時、私は母に左の手の甲を指差し、

私

これどうしたの?先生はどこかで打って出来たあざじゃないかって言ってたよ。

と聞きました。すると、母は

母

叩かれた。叩かれた。

と短い言葉で言い、さらに

母

家に帰りたい・・・

と言い、悲しそうな顔をし、目に涙をためていました。

そして

母

言わないで、またいじめられる。

と言ったのです。

私は8階のサブリーダーであるBが以前から私の目の前でも母に偉そうな口調で話していたことから、もしかしたらBにも何かされているかもしれないと思い、太っているBのことを太った女と表現して母に、

私

太った女も怖い?

と聞きました。すると母は

母

怖いでも男よりまし。

と答えていました。

そして受診後病院から老人ホームに戻り、看護師に今日の結果を報告している際、母が看護師に

母

これはね、実はね・・・言わないでおくわ。

と言っていました。母は「これ叩かれたのよ」と言おうとしたのだと思います。

私が抱いていた疑念が確信に変わりました

母に辛い思いをさせてしまったことに後悔の涙を流しました。

自宅に帰ってから夫に全てを話し、証拠がないと何を言っても信じてもらえないのではないか、カメラをつけないといけないのではないかと話しをしました。

夫は

夫

まさかそんなことはないだろう。

と介護職員による虐待(暴力)を信じることができない様子だったことや、万が一カメラをつけて暴力の事実がなかった場合、母がお世話になっている介護職員を疑ったという申し訳ない気持ちになることから、私はカメラを設置するかどうか結論を出せずにいました。

最後のかけ

次の日老人ホームの健康診断の際に、心肥大があるとの結果が出ていたので、老人ホームのかかりつけの医療機関でもあるクリニック(鎖骨のレントゲンを撮影し誤診をしたクリニック)で心エコーを受けました。

その時私が主治医に母の左の手の甲のあざと腫れを見せて、

私

どう思いますか?

と聞きましたが、

医師
主治医

専門外だからわからない。

との返答だけでした。

主治医でもあるのに、あざをよく確認することなく、わからないならどこで診てもらえばよいかなどのアドバイスも全くありませんでした。

もしここで主治医が異変に気がつけば、カメラを設置することはなかったかもしれません。

私はここで主治医が異変に気づいてくれる事を願っていましたが、やはり自分でどうにかしなければならないという思いになりました。

元副施設長に直接会って相談する

その次の日私は、母の今後のことを相談するために、元副施設長のDさんのところに行きました。DさんはABに対する苦情が他の入居者さんからもあったなどと教えてくれました。

カメラの設置についても相談したところ、Dさんは

Dさん
Dさん

つけてみたら。

と介護職員による暴力があったのか、なかったのか白黒をはっきりつけるためには、カメラの設置も仕方がないというようなことを言ってくれました。

そこで私は帰宅後、夫と話し合いをした結果、母の部屋にカメラを設置することを決めたのです。

これは大晦日の前、年の瀬の出来事です。結婚して初めての年末は、今まで生きてきて一番辛い年末となりました。

元旦にカメラを設置する

新年早々私と夫は、母の部屋に小型カメラを設置し、撮影を開始しました。

この小型カメラは手術をしている内容(術野・じゅつや)を録画する時に、医師が頭につけるカメラ(術野カメラと言います)でした。ですからとても小さいものです。

DVDレコーダーのリモコンはもしも録画をしているのを介護職員にバレてしまった際に、録画映像を削除されないためにも自宅に持ち帰りました。

次に母の部屋に行ったのは1月4日で、この録画の映像はDVDレコーダーに保存していました。

保存できる容量がありますのでこの場で確認し、特に異常のない映像は削除しようと思いました。

録画映像にうつっていた内容とは?

そして1月1日の録画映像には虐待映像はうつっていませんでした。しかし、次の日の2日の映像には、A母の頬をおもいっきり叩いている映像がうつっていたです。

私の身体は凍りつき、息が苦しくなり、その場から動けなくなりました。

母にこんな辛い思いをさせていた自分に腹が立ち、何度も何度も母に謝りました。

今、この内容を記事にしている時でさえも、息が苦しくなっています。

気が動転していましたが、冷静にならなくてはと自分に言い聞かせ、介護職員にこの録画がバレてしまっている可能性もあるので、帰宅後夫と相談し、夜にカメラ・DVDレコーダーごと回収しました。

夜にきたので介護職員は不審に思っていたと思います。

自宅に帰って録画された映像の続きを確認しました。

するとA1度だけでなく何度も母に暴力をふるっていました。しかも、口笛を吹きながら、悪ぶれた様子はなく慣れた手つきで暴力をふるっていました。

本当に恐怖でした。私自身この世からいなくなりたいと心底思いました。

しかもAだけでなく、Cずっと私物の携帯電話を見ていて、母は歯磨きも綺麗にできないので、介助しなければならないのに、ほったらかしにし、うまくできないために、服の前はよだれだらけになり、うがいもうまくできていませんでした。

うまく歯磨きができていないのに、Cは確認することなく携帯電話を見続けていました

このように歯磨きもうまくできていなかったためか、母の歯はボロボロで、前歯は出っ歯になっていました。

なぜ歯が前に出ているのか、母の顔が変わっていくのが心配であった私はとても気になっていたのですが、この出っ歯はABによる暴力で歯を食いしばっていたせいだとわかりました。

なぜ暴力によるものと断言できるのかと言うと、老人ホームを出てから出っ歯は治ったからです。

また、Cは腕が動かしにくくなっているのにも関わらず(のちに左鎖骨が骨折していたことが判明)母の服を片手で強引に脱がせていました。もちろんこの時も携帯電話は持ったままでした。

そしてオムツ交換の際に無意味に母が痛がっているにもかかわらず、下腹部をなんども強く押している映像もうつっていました。

最後にCが母をベッドに寝かせたのですが、これがまたいい加減で、母の身体はベッドの端っこによっていて、少しでもごそごそ動けばすぐに足が落下しそうな状態になっていました。

案の定、足がベッド下に落下してしまいました。上半身はベッド柵があったために体全体が落下することはありませんでした。

次に母の部屋にきたのがBでした。Bはベッドから足が落ちている光景をみて、イラついたのか、母に暴言をあびせ、母の手や足を叩いていました。

さらにベッドから落ちている足を母に自分で戻させるように命令しました。

母は胸腰椎圧迫骨折による神経圧迫のために、足は動かすことは出来ないことをBは知っていました。知っていながら出来ないことを強要していたのです。

母がB

母

動かして・・・

と細かい声で助けを求めても、B

B
B

へえ?自分でして。そんな厚かましいこと言うて、ご飯食べれるくせに何言っとん!

などひどい暴言を続けていました。

B
B

介助するもんにしたら、あなたの方が重たいねんで、何にも自分でしないんだから、人にまかせてるから。

B
B

自分でどないかして。

B
B

向こうむけ言うとんねん!向きかえんかいな!

B
B

日本語わかる?

など、強い口調で尊厳を傷つける言葉を繰り返していました。

ここに書いた内容はほんの一部分なんです。

私はこの映像をみて全く無抵抗で何も悪いことをしていない、やせ細っている弱い立場の母が、介護の仕事をしている老人ホームの職員から暴力・暴言・介護放棄を受けている姿をみて、涙があふれ母に申し訳ないという気持ちとともに、3人に対する強い怒りと憤りを感じたのでした。

次の日、老人ホームで施設長に映像をみせる

翌日5日に私は老人ホームに行き、施設長と相談員に録画して映像をみせました。

とても驚いている様子で、すぐに母には違う階に移動してもらいました。

移動した階のリーダーEさんはとても優しい人でした。

それは、この事件が発覚する前からエレベーターで出会えば、きちんと挨拶もしてくれましたし、8階の介護職員とは違って親しみやすかったので、とてもよく印象に残っていたのです。

ここの階なら安心かもしれないとは思ったのですが、夫が警察に相談へ行くとその老人ホームにいるのはやはり危険だということで、夫が勤務している病院に頼んでもらい、緊急入院させてもらうことになったのです。

老人ホームを出る際、Eさんは自分の立場が危うくなるにもかかわらず、介護記録を私に持たせてくれました。

事実が隠蔽されないためにした行動です。通常なら記録を持ち出すなんてしてはいけないことですが、この時のことを今でもとても感謝しています。

そして、行政には元副施設長のDさんが通報してくれました。

母はこの老人ホームに入居してから約1年6ヶ月後に退去することになり、やっとこの悪夢のような生活から脱することが出来たのでした。

まとめ

このあとは警察の捜査が入り、刑事裁判・民事裁判を起こすことになります。

あまりにも長くなってしまいましたので、老人ホームから退去した後の母の状況や、刑事裁判・民事裁判の詳しい内容につきましてはおって記事にしていきたいと思います。

母は何度もSOSを出していたのに、そのSOSに答えることなく1年半もの間辛い思いをさせてしまいました。

体も心も悲鳴をあげて、異常を出し続けていたのに何も出来なかったことを後悔しています。私は後悔ばかりで何も出来なかったのです。

母のような高齢者が2度と出ないようにこの事件を教訓にしていただきたいと思い、記事にいたしました。

記事にしたからと言って、辛い思いをする高齢者がなくなることはないのですが、介護職員の方に読んでもらい、もう一度見直すきっかけになればと思っております。

介護施設で、この事件を教材にしていただければ幸いです。

もし何か問い合わせなどありましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。

とても長くなりましたが、読んでいただいた方に感謝を申し上げます。

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